媒体の多様化のおかげで、校閲・事実関係チェックに関しては本当に楽になりました。たしかにインターネットの情報は、ほとんどがガラクタです。
しかしながら、川喜田二郎先生がおっしゃっていたように、多数のウソを集めることで、真実が透かし見えてくることはあります。衆知はむしろ権威とされる情報源より正確なことも多いのです。
無分別に異体字を取り入れる、ユニコードが標準になったら、漢字はなんと7万強の字種になります。しかもそれらは、旧字・俗字などに加え、中国の簡体字、台湾の繁体字などを一緒くたにしたものです。
それにともなった動きなのか、常用漢字の字種をどんどん増やしています。どうなるんでしょう、今よりいっそう混乱するのだけは確か、馬鹿げた話です。
いわゆる異体字の大半は、書き間違いや書き癖です。標準なんてもともとありませんし、活字のない時代は書き写すしかありませんから、その間に変わってきたのです。
たとえば、「日下部」は元は「草部」でした。書き写すうちに、草冠が取れてしまい「早部」となり、さらに「早」の上下が分かれ、「日十部」となりました。そのうちに誰かが、「十」を「か」と読むのはおかしいと考えて、「下」の文字を当てたのが固定されたものです。
万葉集が編纂された頃には、すでに枕詞の語源が分からなくなっていたようですから、和歌の歴史というか、言葉を操る歴史は相当古いものです。
にもかかわらず、日本人が文字を発明しなかったのは、必要性をあまり感じなかったからですね、おそらく。(土器にホツマ文字らしきものが彫ってある写真は見たことあります。あれは漢字ではなかった)
歌は本来、文字を書き連ねるものではなく口誦文学です。日本には、言霊という考えはありますが、文字に対しては、さほど重要視してこなかったようです。用が足りれば借り物で十分だったのでしょう。
漢字をもとにして表音文字を作ったのは、明らかに記号としてとらえています。ヨーロッパ語圏がフェニキア文字を借用したのと似ています。
乱暴な言い方をしてしまえば、日本では漢字なんてすべて当て字のわけですから、一点一画などどうでもいいのです。衒学趣味で意味の違い、読み方を云々する必要もありません。
昔の人は、そんなことにこだわってはいませんでした。読みが同じなら別の字を当てても平気でしたし、分家に出るときは、名字の一部を本家と別の字を用いたりするのは普通のことです。
それ以外よくあるのが、住んでいる(領地の)地名を名乗る例です。区別するためにやっていたことですから、文字(漢字)を単なる記号と考えていたのです。
中国人にとって、漢字は一文字が一つの単語です。それぞれ意味を持っていましたから、たとえば《ひのみこ》を、わざわざ卑弥呼と書き表していました。まるで「夜露死苦」の感覚ですね。
日本の言葉が豊富になったのは、確かに漢字のおかげです。けれど、もともともの和語を書き表す時に、音が同じだったり、意味が近い漢字を当てはめたに過ぎません。
後の世に今度は、その漢字を読み下して新しい言葉ができたものが大半です(しかつめらしい権威付け、気の利いた言い方だったのでしょう)。結果、失われた和語も少なくないのです。
群馬県に「上毛かるた」というものがあります。「上(じょう)」は上州の上だと分かります。「毛(もう)」は何を意味するのでしょう。じつは上野(こうずけ)の「け」なのです。
栃木県の野州(やしゅう)という呼び方も似ています。こちらは「下野(しもつけ)」の「野」の字を読み替えたものです。
この辺りには《けぬのくに》がありました。大宝律令の頃から「かみつけ」と「しもつけ」に分かれます。「上毛野国」「下毛野国」の字になった理由は定かではありません。音を当てただけで、意味を持たせたものではないと私は考えます。あまり漢字の意味に囚われてはいけません。
なお上・下、前・中・後は京都から見て近い順です。いちばん遠い所は「奥」になります。
国語審議会が漢字表記の標準を康熙字典に求める、と唱えたことがあります。主に人名の異体字の多さを、なんとかしようとしたからです。
いま常用漢字と言っているものは、もと当用漢字と言っていました。当用とは当座、あるいは当分の間、用いるという意味です。
いつまで用いるつもりだったのかというと、漢字を全廃して日本語表記をローマ字にするまでです。それに伴って小学校でローマ字を教えていました。
漢字を使わないようにする計画だが、いきなりは無理なので、当面この漢字だけは用いてもいい、というのが当用漢字だったのです。
メチャクチャな話ですが、異体字を整理したり、一点一画にこだわる風潮を排除するということでは画期的なものでした。なのに、常用漢字と言い換えた時点で後退してしまいました。
インターネット上での日本語表記に、ゴシック体を使っているのは正しい選択ですね。本当は丸ゴシック系の方が読みやすいと思うのですが、改まった感じがしないから使われないようです。
電子書籍のフォントについても、縦書きでなければならないとか、明朝体でなければ本ではない、といった訳の分からん論調が見られます。電子出版のデバイスで、明朝体は最適解ではありません。
明朝体で縦線が太くなっているのは、メリハリを付けるのに加えて視認性の問題が関わっています。人間の目は左右に2つ付いているため、横に比べて縦の線が認識し難いのです。
みな同じ太さのように見えるゴシック体でも、縦の線は横に比べて数パーセント太くなっています。
明朝体のバリエーションの一つにTV明朝というものがあります。モリサワの書体です。TVは走査線で表示されるため、明朝体の細い横線が飛んでしまいます。TV表示用に横線を太くしたのがTV明朝体です。
ある編集者から、活版に比べて写植の文字が読み難いと言われたことがあります。専門的にはマージナルゾーンに由来するものです。印刷・表示方式によって読みやすい字体は変わってきます。
昔(相当昔のことです)、TV番組で印鑑の職人さんが言っていたことを覚えています。
判子を彫るときには、普通に文字を書くときとは反対の方向から彫ると、やりやすくきれいにできるというのです。これは漢字の成り立ちから見れば至極当然のことです。
かいつまんで言えば、漢字ももとは楔形文字です。粘土板とか石とか甲羅とかに鋭い針や刀(とう)で彫り込んだものが始まりです。彫ってみれば分かりますが、刀を入れた最初の所が太くなり、線は細長い三角形になります。
後の世に紙や筆が発明され、石に彫られた文字の形を写し取るときに、筆で書きやすいやり方が考えられました。これが彫るのと反対の方向から書く、トメとか、ハネとか、ハライとかいうものです。
紙に筆で書くことが一般的になり、楷書体などの筆で書きやすい字体ができてきました。篆刻はやったことがないので、篆書体が彫りやすいかどうかわかりません。けれども筆ではそうとう書きにくいと思います。行書体や草書体に至っては筆でなければ書けない字体です。
判子屋さんの技術は、逆の道筋で発展してきたわけです。筆の書き順と反対から彫るのではなく、もともとの方向に戻っただけ。
そんな大層なことではなくて、この方が無理なく自然だったのでしょう。考えれば当たり前のことで、一種の先祖返りみたいなものです。
印刷で使われる「明朝体」は、イギリス人が中国人に作らせた活字です。字体は、アルファベットのローマン体からきています。ローマン体のもとは、羽根ペンの字体です。筆であんな書き方はできません。
明治時代前後、日本にもたらされた明朝体が、書き文字とあまりにも違い、学校で文字を教えるとき差し障りがあるということで、作られたのが教科書体です。(明朝体でも、ひらがな・カタカナは漢字と字体がだいぶ違うのにお気づきですか? 漢字以外は日本で作られたからです)
教科書体は筆で書いた文字にかなり近いものです。しかし今の小学校の書写の時間では、これを鉛筆で書かせています。鉛筆書きで、ハネだとかハライだとか言っている。とても正気の沙汰とは思えません。
字の形なんていうものは、筆記用具の変化で変わってきました。基準になるものや正解など、どこにもないのです。
学校教育での文字の表記について 残念なのが分かち書きです 小学校低学年の教科書で 分かち書きが取り入れられています かなだらけで読みにくいからです 英文などの表音文字では ワード間にスペースを入れるのは普通の書き方です
一般に使われている日本語ワードプロセッサーは、デフォルトで禁則処理がされているでしょうから、あまり意識されていないことですが、web上では文頭に句読点が来たりすることがあります。
最近のブラウザーは禁則処理の機能があるようです。そのため、かえって変なところで強制改行されるので、あまり改善されているとは言えません。
インターネットは英文表記が基準で、日本語独特の句読点の表記は考慮されていません。漢字、仮名だけでなく、句読点など(約物といいます)も2バイト文字で、1文字が1語として扱われるためです。
その点 インターネット上の文字表記として 分かち書きは大変都合がいいのです この書き方が 小学校低学年での便宜的なものに終わっているのは 大変残念なことです
漢字の国中国では もともとは白文でした 記号類はありません 内容の区切りごとにスペースは入れていたかもしれません(原典を見てないのでわからない)
漢字が日本に伝わったころは 中国読みだったのでしょう 日本語で読み下すようになると このままの状態では なかなか読みづらいので 返り点や センテンス・パラグラフ間に◯を入れたりという工夫をしていました(あくまでも読むための便宜です)
明治時代になって、印刷で句読点が使われるようになりました。漢字仮名まじりの印刷文は、大変読みにくかったためです。返り点などから借用した表記法のようです。
句読点カギカッコ等は 返り点と同じく便宜上使うものですから 例えば目上の人に出す手紙文では 入れてはいけません 失礼に当たります しかし いつの間にか句読点を打つ書き方が標準とされるようになりました これも学校教育が原点ですね
同じ2バイト文字圏でも、中国語の場合は一文字が一語ですから、本来記号は使わなくてもいいと思われます。ただ現代中国の表記では、記号を使っています。あれはどこから来たのか、句読点なんかは日本語の表記を真似たとしか思えません。
日本でも明治以前の公文書は、白文の漢文読み下しでした。これはやはり権威付けのためでしょう。今でいえば、やたらカタカナ語を使ったお役所の文書みたいなものです。一般の人は仮名書きが主です。言文一致の口語文提唱は、権威主義への批判でもあったのです。
現在標準とされる日本語表記の大半は、実際は印刷の職人さんの工夫からきました。新聞記事の影響も大きかったと思われます。明治時代に漢語風に訳した外来語がたくさん出来ましたから、英語表記の影響もあったことでしょう。段落行頭の1字下げなんか、そうかも知れません。英文表記でパラグラフの最初をかなり下げている例があります。(これはインデントであって、スペースを使ってはいけません)
もうひとつ、何となく文章の書き方のお手本になったのが明治の文豪の小説です。
よく「情に棹させば流される」の意味を取り違えている人が多いと言われます。明治時代前期にこんな慣用句・成句は使われていません。漱石の作り出した言い方です。
これは「流れに棹さす」と「情に絆(ほだ)される」を引っ掛けた、漱石一流のシャレなのです。夏目漱石は漢学の素養に加えて、江戸落語が大変好きでした。(草枕が書かれた頃は三代目小さん)実にリズミカル洒脱な文章です。
漱石作品はほんとに当て字だらけです。新しい文章表現を模索した結果でしょう。当て字をどう読むかは難しい所です。振り仮名にしても、原稿に指定してあるもの、朝日新聞が付けたもの、岩波書店で付けたものなどが混在していると思われます。
ところが後世の人が無批判に文章のお手本にしてしまったために(もともと官費留学生でしたし、何しろ教科書に載っているわけですから)混乱してしまったのです。
小学校教育関連で、役人や教員の感覚のずれはたくさんあります。
一つは最近よく見かける「子供」を「子ども」と書くことです。
どうも、子供の人権がどうとか言ってる小学校の教員が、「子供は大人のお供ではない」という理屈で始めたことらしいのです。教員や元教員の間に始まり、この奇妙な書き方が次第に広まっていきました。
あえて彼らの意図には言及しませんが、一つの単語を漢字仮名まじりで書いて平気というセンスが、じつに不思議です。私はすごく違和感を覚えるし、字面から「者ども、控えおろう」なんてセリフを連想してしまいます。
小学校教員は、教育漢字の配当表で教えていない文字は仮名書きにする、というやり方に慣れているからでしょう。そのため、これが当たり前の表記、普通の書き方だとでも思い込んでいるのではないですか。
新聞の投稿で見た例、小学校2年の子供がノートに「1万円でわが子をかう」と書いてマルをもらいました。「1万円で和菓子を買う」を習った漢字で書いたわけです。
学校教育の弊害のもう一つが、送り仮名の正誤です。
漢字の読みなどというのは、むりやり日本語を当てはめただけですから、読めればそれでいいのです。内閣告示の送り仮名の付け方にも、個々の表記に及ぼすものではない、と明記されています。
しかし試験の答では、正解は一つでなければなりません。教えた送り仮名以外はバッテンを付けられてしまいます。
官僚も似たようなもので、正解が一つしかない試験を受け続けた人間ばかりの集まりです。役人が使う「ほ場」もすごく変です。田圃の圃の字が常用漢字にないからだそうですが、田畑では威厳がないとでも思ったんですかね。
試験では仕方ありません。しかし、問題は学校で教えた(習った)こと以外を、何の疑問もなく間違いとしてしまうことです。これでは「馬鹿のひとつ覚え」を育成してしまいます。
教員は学校を出て、そのまま学校に就職します。そのうえ三代続いて教員などというのも珍しくありませんから、学校以外の世界を知りません。教科書に書いてあることのみがスタンダードです。
たとえば〈徳川幕府〉なども、教科書だけに使われる特殊な語句です。時代劇では「公儀隠密」「ご公儀よりのお達しである」といったセリフが普通でした。徳川家ではなく公方様ですし、江戸城ではなく千代田城です。今のシナリオライターはTVの仕事ばかりで、映画の事を知りませんから、平気で「幕閣」とか言わせてますが。
漱石の末弟子、内田百閒の随筆《だいこ(昭和17年)》に「在来の方言の多くは古語であり、その系図は大概正当である。段段にすたれて辺陬の地に残り、一般の語彙からは死語と見なされているものが多い。」「上京しなくても学校は標準語の派出所である。校門をくぐった途端に、だいこがだいこんに伸びる。女学校を出た娘さんがお嫁に行った台所では、だいこんを千六本に刻んだり、だいこん下ろしをすったりする事になる。」とあります。今に始まったことではないようです。
ただ、江戸時代の料理書には「大こん」と記載されているようです。関西と関東の違いかもしれません。「諸国方言物類称呼」を当たれば出ているでしょうか、読んだことないので分かりません。
おしんが食べていた大根飯は、おそらく(だいこめし)でしょう。ちょうど、朱雀(しゅじゃく)が朱雀大路(すざくおおじ)になるようなものですか。
江戸・明治の仮名表記では、濁点を振ったり振らなかったりします。振ってなくても、濁って読むのが常識の言葉がたくさんありました。気を付けないといけません。西国と東国でも言い方は違っていましたし、仏教用語なんかだと、また別の読み方があるので難しいところではあります。
このごろ差別用語撤廃とかいって、言葉狩りをしている勢力が幅を利かせています。教育と出版周辺に多いような気がします。
岩波書店の社内専用ワープロソフトや校正支援ソフトは、彼らのいう差別用語を自動的に、他の言葉に置き換える機能があると聞いたことがあります。朝日新聞あたりでも同じことをやっていそうです。
教育も出版も新聞も影響力がありますから、なかなか侮れない存在です。インターネットにこそ本当の言論の自由が存在します。こういった権威主義に対峙する拠り所となるでしょう。