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デザインの考え方

すべてのデザインは、コンテンツがあって初めて生まれる

ウェブデザインといいますが、デザインって何でしょう。ちょっと安易に使われていませんか。
「デザインを3、4点作ってくれ、その中から気に入ったものを選ぶから」……? 「あんたのデザインテイストを教えてくれ、うちのイメージに合ってるかどうか知りたい」……? ←こういったところは、自社および自社製品への理念を持っていません。(経験則から)

たとえばCMSは、いくつかのデザイン・テンプレートがあります。ターゲット別に、それらしいデザインの中から選んだりする形です。ただのお化粧、そんな感覚でデザインを考えているのでしょう。
いままで、旧媒体による広告を本格的に展開した経験がなく、デザイン戦略・戦術に対する認識が不足しているのかもしれません。
デザインは商品や企業を表現するための手段です。他社の物真似や、すでに出来ているサンプルに、商品や会社を当てはめる。あるいはろくなプランニングもない、上辺だけのコンペで決めるなんて本末転倒、まったく無意味な行為です。

デザインは感覚やセンスではありません。感性じゃデザインはできない、すべて理詰め・計算づくです。違和感を与えず、押し付けがましくも声高でもない、デザインを感じさせないデザインが本物のデザイン、マーケティングのためのデザインといえます。

琳派はデザイン。アートとの違い

デザインの重要な要素に《破調》があります。こちらのページ(味気ないウェブデザインに動きを加えて魅力的にする5つのデザインテクニック)を見て下さい。動きを感じさせるデザインのサンプルがいくつか紹介されています。モーションといってますがモーションピクチャーではなく、破調(緊張感・揺らぎ)によって視線の動き(クリックの誘導)をつくり出しているのです。

宗達と光琳
デザインはバウハウスから派生しました。つまり建築と関連した、もの作りが始まりで、視覚的構造設計といえます。
日本の文化で考えると、建築に関連した平面デザインは屏風絵や襖絵になります。屏風絵・襖絵を絵画ではなく、デザインから見るとどうなるでしょう。
尾形光琳は、きわめてデザイン性の高い作品を残しています。たとえば《燕子花図屏風》には、真ん中辺り(左隻)に花のない株が描かれています。
ポイントはこの株にあります。真ん中の株に花が咲いていたら価値はありません。すべて同一の株の連続では、紋様であってデザインにはならないのです(実際、型染めの技法を用いているようです。家業が染物屋だったといいますから)。 六曲一双の屏風で、全体として連続した図柄です。この真ん中の株でデザインが完結しています。破調はデザインの重要な要素なのです。
同じ光琳の《風神雷神図屏風》は左右に風神と雷神が描かれていて、真ん中は空白(金箔地)です。俵屋宗達の模写と言われますが、構図は変えています。
宗達(グレー)と光琳(赤)の風神の輪郭を重ねてみると、完全に一致します。ただし、敷き写し(トレス)では、この線の勢い躍動感はでません。寸分違わず模写したのであれば、それも恐るべき技です。現在なら、著作権云々といった騒ぎになるところです。しかし、これは剽窃ではなく。先人へのオマージュでもありません。架空のものを表現するためには、決まった様式があります。様式に則らなければ、見る人に納得してもらえません。どこかで見たようなものでなければ安心できないのです。
絵師たちは、別に自己表現を目指しているわけではないので、オリジナリティはさほど重要ではありません。クライアントの求めに応じたベストなデザインを模索した結果です。
右の画像をご覧ください。江戸琳派後期の鈴木守一(秋草図)です。一見普通の掛け軸のようですが、実は表装に見える上の風帯部分、中廻しの裂の部分もすべて描いたもので、全体が絵なのです。
これは、大津絵などに見られる描き表装とは異なります。別に表装代を浮かそうとしたわけじゃあない。琳派らしい大胆な構図のための工夫ですが、表装された完成品が商品であることを自覚しているからこその発想です。
鈴木守一

単なる思いつきや、奇をてらったものではありません。江戸の絵師(デザイナー)たちが、作品(商品)の置かれる場所(ほの暗い奥座敷?)を前提に制作していることが伺われるよい例です。

琳派とはだいぶ外れますが、TV番組で《洛中洛外図屏風》は右隻左隻を並べたのではなく、自分の前後あるいは左右に置いて眺めたのではないか、という仮説を紹介していました。つまりパノラマですね。大変面白い説で、鳥瞰図なのも納得できますし、その可能性はあると思います。

江戸時代にアートはありません。すべて目的がある実用的な工芸品(すなわちデザイン)です。

デザインの本質はマーケティング

デザインには必ず目的があり、主役はクライアントです。別な言い方をすれば、デザインは自立できないもの、常にアノニマスでなければならないのです。作家性は不要です。

屏風・掛け軸に限らず、平面デザインはレイアウトが重要な要素になります。紙メディアではレイアウトができます。しかしウェブデザインでは事実上不可能であるといえます(CSSはブラウザーで見え方が変わりますので、レイアウトには使えません。しかも同じブラウザーでもバージョンによって違う!)
ウェブデザインの構造とはナビゲーションデザインのことです。ユーザビリティーとアクセシビリティーを考慮したデザイン、言い換えればマーケティングから発想するデザインです。アートでも装飾でもありません。目的のある工芸品なのです。

琳派の作品がデザイン性に優れているのは、このマーケティング(商品としての最終形態)から発想しているためです。型染めの手法を用いたり、金箔の代わりに金泥を使う(やはり金箔だとの説もありますが、経費を節約したのではないでしょうか)ことなども、その線上にあります。絵の技量の問題ではありません。

お分かりでしょうか。クライアントからのオリエンテーションがない状態で、デザインなどできません。同じ理由で、他社事例のデザインは貴社の参考にはなりません。(当所が制作事例のビジュアルを掲載しない、一つの理由でもあります)

デザイナーのテイストではなく、クライアントのテイストを表現するのがデザインなのです。